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社有案件PJ コルビジェ2 完成しました

2021-12-27
中山競馬場のそばです。
コロナ禍で、無観客ということもあり、信じられないほど中山競馬場も静まり返っています。

完成してちょうど一月経ちますが、すでに満室です。
都心に住んでいた若者達が、同じ家賃でリモート用個室付きの広いお部屋に引っ越してこられる。
どうせ会社通勤などほとんど無いし。何が幸いするか?わかりません。
自社案件だから何でもありのデザインの筈が、ウッドショックで、結果的に消去法によるデザインになりました。
それでも多少の、意地は残ったと感じています。
外壁はノンシールサイディングです。数十年は足場をかける改修工事は必要ないでしょう。
鉄部の塗装はローバル塗装と言って、溶融亜鉛メッキに近い塗装です。
とにかく、寿命の長い建物にしました。
そして夜景は美しく、ブテックホテル風に、をコンセプトに計画しました。
どうしても無駄にコストをかけてしまって、それが設計事務所がオーナーの時の宿命で、収支は悪くなります。

インドネシアバリ戸建てプロジェクト 完成

2021-11-17
私の人生史上初  床面積1000㎡弱の鉄筋コンクリート造の平屋の戸建て計画がついに完成です。
それも海外です。
それもコロナ禍の中です。

過去30坪程度の住宅をいくつ設計してきたであろうか?
最近は個人の小住宅はもうやらないと自分に言い聞かせてきました。
飛び込みのクライアントの多くは、予算がないのに夢だけが大きくて建築費の現実を知らない人がほとんどです。
そういう若いクライアントを相手にするこちらにも覚悟が求められます。もちろん相手にも覚悟を求めます。
それでもクライアントの夢を大切にしたいので、お付き合いで設計を進めます。
そしてたいがいが、設計途中で終わります。設計料は頂戴せず、日本酒1本で終わりにします。

この悪い、間違った情報はテレビ番組がいけません。
テレビで発表されるような、そんな安い金額ではできないのが現実です。
建売住宅も同様です。別途工事が多くあり、営業マンが夢を語って、途中追加工事をわざと作り、そこで利益を確保します。
まして今はウッドショックで資材高騰している最中です。
友人の家とか、「どうしても頼む」と依頼された仕事以外、住宅のお仕事はお断りしています。

しかし今回のインドネシアバリの戸建てPJだけは「やむにやまれぬある事情があってどうしてもやらねばならない」そういう事態になってしまった感がありました。バリ日本国総領事館の完成に引き続き、
2年前から始まったPJです。
コロナ前です。
あの時点で、まさか、こんな事態になるとは誰も想像していなかったでしょう。
現場が始まって、一度も現場に行けずに、施工図と写真や動画だけでの監理作業です。
毎日決まって夕方6時頃になると監督から連絡が入ります。
長電話でしたが、それしか進める手立てがない中、よく完成したものだと思います。
途中何度も限界を感じつつ、始まった以上最後までやらなければ、完成するまで止められません。
他社でも海外PJのほとんどがこのような事態になったのでしょう。
こういう特別な環境の中での現場です。それでも完成出来た感慨深い建物になりました。

バリと日本の融合と調和をテーマに。
日本の良さをアピールしつつ、あまり和風にはせず、無国籍風スタイルにしました。
日本に影響を受けたフランクロイドライト的でもあります。
水平線を強く意識し、水との関係を意識する。
先週見学したヨドコウ迎賓館も上手に水を建築に利用していました。

この場所はもともとは、大規模なレストランが建っていた場所です。
数十年前とは環境が激変し、大型バスで、まとまった人数で、大勢で旅行する時代ではなくなり、少人数で海外旅行するのが一般的になってしまったのでどうしようか?と考えていた時にこの特殊な住宅の依頼があり、設計が始まりました。
解体されたレストランには骨董品のような家具や建具があり、それらの多くが銘木で造られており、今では環境問題的に伐採不可、使用不可の材料で制作されていました。
それらの再生(記憶の継承)にも心がけました。

もう二度と経験できない規模の住宅です。
いずれコロナ禍が収束したら、必ず一度は見て、確認しないといけない建物です。

昨年からコツコツやってきた建築視察会(お勉強会)も、32回目になりました

2021-11-12
昨年からコツコツやってきた建築視察会(お勉強会)も、32回目になりました。

26回 7月3日 サーリネンとフィンランドの美しい建築展見学 パナソニック汐留美術館
27回 8月21日 国立近代建築資料館にて丹下健三展見学
28回 9月4日 古作 夏見台 本町4 渋谷区本町4 現在進行中の各現場視察
29回 9月25日 大東地質様から地質に関する講義 中野区中野1敷地見学
30回 10月2日 赤坂迎賓館見学 アンテスチュ日仏会館 国際文化会館

記念すべき第30回目は赤坂迎賓館でした。
緊急事態宣言解除後、初日の10月1日にはメンバー全員による久しぶりのお酒を飲みながらの食事会を行い、あくる日は迎賓館見学です。
赤坂迎賓館はコロナ禍もあり、ガラガラで、宮内庁の説明(ガイド)担当者も近寄ってきてくださり丁寧に説明をしてくださいました。
ほぼマンツーマンによるご説明でした。
先の大戦にもよく耐え残ってくれた建物に感謝です。
焼夷弾で、一部の屋根は燃えたそうですが、宮内庁職員の命がけの消化活動のおかげで今の状態を保つことが出来ました。
装飾部を、よーく見ると、兜や鳳凰があり、明治の設計者片山東熊がフランスベルサイユ宮殿を参考にしたものの、いたるところを和風にアレンジした箇所が見えてきます。

31回 10月9日 明治神宮ミュージアム 
32回目  11月5日  ついにスタッフ全員による泊りがけの大阪へ 安藤忠雄建築視察会

まずフランクロイドライト設計のヨドコウ迎賓館を見て、風の教会、六甲の集合住宅、兵庫県立美術館、神戸の一連の建築。
あくる日は心斎橋周辺の名建築を視察し、ラストは梅田スカイビル。
つくづく思います 建築バカな私がスタッフにも同じ感覚をいだいてほしいと願いながら続けてきました。
私が若いころ、ずっと名建築を見ながらデザインへのエネルギーをためてきた時代があり、それが今の私を動かしています。
この道は修行です。今思うと楽しい修行・苦行だったと思います。
35歳の若さで安藤忠雄という建築家が「住吉の長屋」という小さな住宅で新人賞を受賞し、講演会で見たときの安藤さんの迫力に圧倒され、私は20代の時に安藤忠雄に触発され誰もやったことがないことがしたい。初めて経験するドキドキ感、今でも覚えています。
あの時の20代の時に見た安藤建築とは今回また違う発見があり、30代、40代、50代、と受け取る側の知識が深くなる分、見方も変わってきます。
そういう意味で、コルビジェが言った「建築は60歳からはじまる」は今、よーくわかります。
何もデザインさせてもらえなかった苦行だった20代があり、それでもほんのちょっとだけ自分の案を入れた図面があり「最後の1%が建築の全体を支配する」といった村野藤吾の言葉に救われた20代があり、デザインやディテールでピンチになって悩む時、それを助けてくれたのが先人たちの名建築でした。
また、今回大きなエネルギーをもらった感じがしました。

6月19日 第25回建築視察会

2021-06-19
6月19日 第25回建築視察会

国立近代美術館 隈研吾展見学

緊急事態宣言中にもかかわらず、かなり人出も多く、人数制限されながらの鑑賞になりました
おまけに雨。

正直、私自身は何度も見た隈さんの作品なので、感動が薄かったのが残念でした。
若いメンバーには新鮮だったのでしょう。
見学者のほとんどが20代の若い人達、おそらくは学生たち、で一杯でした。
誰もが隈さんのようになれると信じて、建築の勉強をしているのでしょう。
夢があっていいなぁと思いつつ、現実は厳しいぞ、と言ってあげたい。
はたして隈さんは今の姿が若いころの目標だったのでしょうか?
一度聞いてみたいとおもうところです。

約30年前、ドーリックやM2ビルを作っていたころ、今の仕事っぷりというか、
日本を代表する巨大な建築を設計している未来がみえていただろうか?
これからの晩年はどう変化していくのか?
自分の殻をさらに一枚脱いだデザインをしたいと考えているのか?
もう、充分、おなか一杯という感じなのか? 
日々苦悩しているのだろうか?
大きいお仕事が続くと小さいお仕事ができなくなる不安はあるのだろうか?
事務所が大所帯になると、興味はあるが小規模な建物ができなくなる現実があります。
もうそんな問題すら、感じないほど、私とは別世界に、行ってしまったのか?
30年前M2ビル竣工パーティー時にお会いし、お酒を交わした時に感じたギラギラした印象が、今は、全く感じない人柄に変わった気がします。
年齢がそうさせるのか?
VTRを見た限り、人柄の良さは今も変わらない。

夕方雨脚が強くなってきて、こういう残念な日もたまにある。
早く帰って、休養をとることにしました。

6月5日 第24回建築視察会

2021-06-05
6月5日 第24回建築視察会

前川国男邸見学

コロナ禍の中、晴天に恵まれ、江戸東京たてもの園まで、前川国男邸見学してきました。
たくさんの建物がありましたが、前川国男と堀口捨巳の設計した建物のみ見学する弾丸ツアーです。
園内放送でしきりに、「2m以上の間隔をあけてください」というアナウンスが流れています。

建築視察は何回行っても、常に新しい発見があります。        
おそらくこの名建築は4回は見ていると思います。ですがまた新しい発見がありました。

コルビジェ曰く、「住宅は住むための機械である」
それを実証するようなディテールがてんこもりです。
今日は雨戸の戸袋自体が回転しそれが雨戸に変身することを発見しました。
不思議なところに丁番があったので、よくよく見ると戸袋自体が90度回転するようになっていました。
まさに機械のような建築とはこういうことです。
飛行機や自動車よりもっとはるかに精密な性能を要するのが住宅の機能のようにさえ思える。
プロポーションの美しさも、相当時間をかけて練られたに違いない。

また基本に戻って、新たな気持ちで机に向かえるように気合を注入された一日となりました。
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