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ご挨拶

令和三年12月

ーコロナ禍の中での設計事務所とはー 2021年末


2020年から始まった約2年近くにもわたるコロナ禍の中でしたが、寄付金という役所への貢献も含め、よく耐え抜いたコロナ禍での(零細)設計事務所だったと思う。
昨年3月頃コロナがテレビで話題になって以来、急にホテル計画、老人施設計画、保育施設計画、工場等、ストップされた計画案件があり、一時雲行きが怪しくなった時期もありましたが、設計の仕事はその後5月以降、引き続き順調に入ってきたので、当社に関してはさほど大きな影響はありませんでした。
大きな会社は大変だったと思います。
2021年、今年の秋頃に発生したウッドショックによる急なコスト高の方がよほど影響は大きいと感じます。

当社で、コロナ禍で大きく変わったのは「人」です。
これはどこの会社にも言えることだと思うのですがコロナ禍によるリモートワークが、人と人との絆が薄れていく原因であり、教育が必要な仕事には絶対に向かないということが鮮明になったのではないでしょうか?
入社しても人との関係が作れない、つまり先輩も作れないし後輩もできない。「建築とは関係つけること」と磯崎新が言っていましたが、まさにその通り。
入社してもすぐに退社する、人との関係が築けず、嫌われる。協調性は設計者にとって重要な能力です。
感性を必要とするこの設計という職種は、face to faceが絶対であるという証拠です。
私が常にいう、ウエットコニミュケーションの必要性が今こそ問われる時期はありません。
建築の「見て触って臭いをかいで、舐めてみて」この訓練、試練を受けないとデザイナーとしては成長しません。
「五感で感じる」この体験を無くしては語れません。

当社は、昨年秋に4人の人を入れました、当社はリモートワークはしません。
常にface to face、教える姿勢を基本に置いて、まず成長させること。
成長した感覚は本人が一番解っているはずです。
ひと昔前の設計事務所は「職を与えて禄を与えず」でした。これをブラック企業と言います。

西郷さんは「功あるものには禄(金)を与えて徳のあるものには地位を与えて」と言われました。
設計の世界には地位はなじみません。
当社は投資信託の商品によくある、予想分配金型です。
「職を与えて食(酒)も与えて、禄は先払いで与える」
自分だけの幸せではなく、みんながが幸せになれる雰囲気を目指す。
「美しく、強く、成長する会社」総裁候補の高市早苗の言葉です。

甘い会社ではなくあったかい会社 を追求します。



平成30年4月

このたび、ホームページを新しくさせていただきました。
平成30年(独立開業10周年)を迎えて独立開業して、ちょうど、まる10年がたちました。
本当にあっという間の出来事でした。
先月、いきなり当社のHPがダウンしてしまいました。
ちょうど、海外の大使館の設計のお仕事に関わった頃と重なったので、これが世間でよく言われる敵対する

勢力からのサイバー攻撃っていうのもなのか?
疑心暗鬼になったものでした。
ようやく、リコーさんのおかげで、この度、HPを再生、復活することができました。
そして、10周年になる記念事業として(株)曽我建築設計事務所の本社建設を考えました。
この場所に事務所を構えて、7年がたちました。

今の場所が目立つと言うせいもあってか、多くのお客様からも場所、

存在を認知されるようになって来たし、この場から遠くへ離れるのも寂しいと思いました。
そんな時、偶然にも、お客様でもあるレオコーポレーション様からのご紹介で、運よく、隣地のナビパーク

(コインパーキング)の用地を入手することができました。
これも天の配剤なのか?何かのご縁というものでしょう。

まさか、真隣りの土地を入手することができるなんて!
ラッキーでした。
と言うことで、今、本社建設工事の真っ最中です。
秋には引越しする予定であります。
 

平成28年1月

平成28年1月1日の 安倍内閣総理大臣 平成28年 年頭所感では
石の上にも3年 築城3年落城1日 という比喩を使いながら説明されていました。
今までの努力はそのまま引き続けて、しかし天狗にならず、初心に戻って丁寧に、慎重に。その精神を大切に、

今年一年設計活動していきます。
新年の豊富で、何か、特別に新しい目標があるわけではないですが、チャレンジ精神だけは失わずに、

気持ちの若さだけは保ちながら、活動していきたいと思います。
今年は、年頭からワシントンホテルのプロジェクトが始まり、

その設計環境を中心に体制を整えて行くことになります。
おかげ様で、幸先の良いスタートを切ることができました。
http://www.shinshowa.co.jp/company/press/2016-01-28/2016-01-28.html
昨年は設計事務所開設7周年記念を迎えることが出来たし、また明るく愉快なスタッフにも恵まれ充実した

設計環境が整ってきました。

ますます新たなチャレンジに邁進出来る気がいたします。
そして、今まで通り、共同住宅、個人住宅も、絶対に手を抜かず、丁寧に、昨年同様、引き続き、楽しみながら

設計をしていきたいと考えています。
昨年は人を育てることの難しさ、また育てた後に更に高みを極めさせるためにスタッフとどう向き合うか?

その難しさを実感しました、この業界の特徴でもある独立思考の強い人材ほど実力がのびる傾向、現実があります。それは独立目標を前に必死に学ぼうとするからでしょう。
やはりどんなに学歴が高かろうと、必死になれる人間(凡人)には叶わないということです。

いかに必死になれる設計環境を用意できるか? が私の仕事になります。

仕事というのは任されないと必死にはなれないものです。

任せるというのはこちらにも勇気がいるものです。

私の個人名で活動している事務所ですので、クライアントは私にお仕事を依頼されているわけですし、スタッフに

ではありません。

任せて失敗することもあるかもしれませんが、そうならないように常に隅々まで目を見張っていないといけません。今こうして、幸せを噛み締めながら、大好きな設計という仕事を通して社会と関れている事に感謝です。

また歳を重ねる度に強く感じる事ですが、凡人いや奇人だった私を設計事務所の代表になるまでに

育ててくださった諸先輩の方々、お客様、友人、そして家族に感謝です。

その感謝の想いを今度は私がお返しする番だと感じます。

平成27年6月

あっという間に独立開業7周年がたちました
経営の安定期に入ったと言っていいものか?知りませんが、着実に素晴らしいお客様に恵まれて、毎日設計業に邁進することが出来、忙しい日々を過ごさせて頂いております。
この度設計の人員も増やして、新たな事務所つくりに挑戦することにしました。
熟練者スタッフの退社に合わせ、若い人員(といっても30代40代)を採用し、明るく、活力ある、パワーみなぎる事務所の雰囲気に変えられるようにしていきたい。
経験より大切なものがある事に気がつきました。
馴れ、慣れ、は怖いものです。
熟練の経験者に任せていたので、仕事上は安心だったのですが、その分、年配スタッフ特有の、けだるい空気感に事務所全体が支配されてしまい活気を失う結果になりました。
そうさせないのが私の役割の筈でしたが、気づくのが遅すぎました。
まず、気心しれた昔の仲間に声を掛け、来てもらうことにしました。
いろいろな人に相談した結果、皆さん口をそろえて、「事務所の雰囲気が暗い」と指摘され、なぜか?それが解らなかった自分が情けない。
その反省を含め、女性スタッフの採用も含め、心機一転、人心一新、新しい事務所つくりに挑みます。
一気にスタッフが5人になり私を含め計6人体制の事務所になります。
けっこう大所帯になりますので、その分、責任が重くなりますが、前を向いて進むしかありません。
今まで通り、ひとつひとつ、丁寧に、慎重に、まごころをこめて、一品生産の物つくりの姿勢を忘れずに。

 


 

平成24年12月

2012年末のご挨拶
今年は、年頭からうれしいニュースがありました、昨年完成したLABI新宿西口館が、日鉄住金鋼板株式会社 
第6回NISCイソバンドデザインコンテストに受賞し、縁起の良いスタートが切れました。 http://sogatoru.exblog.jp/15370841/
昨年来の311の自粛ムードも多少薄らぎはじめたのか、各施工会社にも受注の勢いが増してきて、
止まっていた案件も再開したりして、当社にとって、忙しすぎるという嬉しい悲鳴が起こりました。
大きな案件もあり、同時並行に小さな戸建ての案件もあり、バランスのとれた案件が頂けた事は当社の新人教育上
においても幸いでした。
いろんな建物の設計を経験できるというのは、きっと将来、大きな財産になるに違いありません。
来年はまた、新卒者を一人、入れて、手塩にかけて育てていこうと考えています。
また、今年は仕事を通じ、ガッツ石松さんと一緒にお酒を飲む機会も増えたこともあり( 
http://sogatoru.exblog.jp/16725447/ )、元世界チャンピオンから、いろいろ教わることが出来ました。
とくに不屈の精神を教えられました。仕事は選ばないで、自分に来た仕事は全部こなす。
それが今、自分に期待されている事だし、それに答える社会的義務がある筈。
その結果は必ず、ついてくる。その通りでした。
用途変更申請から、消防設備の補助金申請、病院の改装、耐震適合証明書の取得作業、特殊建築の定期報告、
もちろん個人住宅から老人ホーム、共同住宅、店舗の設計作業等ガムシャラにさせて頂きました。
いろいろ、守備範囲が広くなったので、最初頭の中が混乱するかと思いきや、意外にそうでもないものです。
同じ一直線に並んだ設計作業上のほんの小さな枝葉にすぎませんでした。
一番重要なことはどんな建築も、住宅設計の考えが基本にあると言うことです。
そしてクライアントに、喜んでもらうこと。
クライアントに、感動より感謝の気持ちを与える事が出来たなら、その時が、私にとって一番の至福の瞬間です。
そして今年は、ふるいお客様との再会も、嬉しい出来事でした。
昔お世話になった三人のお客様より、携帯電話に連絡を頂きました。
いずれも、いきなり設計のご依頼でした。5年以上も連絡を取っていなかったので、本当に懐かしい思いがしました。
そして当時の、私のお客様への姿勢は正しかったのだと証明することができました。
常に弱者側に立ち、専門知識のないお客様に自分の目線を向ける。(そのせいで業務過失報告書を書きましたが)
それだけは今も昔も、変わりません。
見て見ぬふりや、特にいじめ問題が横行した今年ですが、大勢の意見に流されない孤高の精神教育が今、
重要だと感じました。 
医師や建築士や弁護士など本来の士業(武士道)の精神は、決して軸がぶれてはいけないし、
偏った判断をしてはいけません。専門家として孤高にならなければいけません。
昨年の事件がさらに自分を強くしてくたことは言うまでないですが、( 
http://sogatoru.exblog.jp/15186558/ )
「利休百首の第1首」 これこそが自分を大きく成長させてくれる師匠であり、答はまさに自分自身の内にあると言うことでしょうか
その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ
 

平成22年3月2日

おかげさまで、この大不況の中、無事に第2期を乗り越える事ができました。なんとか、かろうじて増収増益の形にはなりましたが、災難が降りかかったせいか、悔いの残る第2期でした。第3期目を迎えるにあたり、
「怒れば肝を害す、恐れは心を害す、考えは胃を害す、悩めば肺を害す。」これらを調節するには「心を空にする」しかない。という故事をある会長様より教えられました。
とにかく健康な体と心に勝るものはないという事かもしれません。
新年の年賀状に、新年の豊富は、「今年は挽回の年にする」と書きました。
理不尽な形で、失った物や取られた分を奪い返す、取り返す。そんな、逆襲の年にしようと!
大きな振り子がマイナスへ振れた分、次は必ずプラスへ転じます。この勢いに乗ってこの苦難の年を乗り切ろう。
もちろん、昨年のお年賀に書いた「打って反省、打たれて感謝」の精神も忘れません。
特に西新宿の設計は私に、多くの苦難を与えてくれましたが、そのあとには必ず大きな発展があると信じ、
勢いをつけて、善心、前進、善進、する所存です。
                           平成22年3月2日(大安) 

平成21年6月20日

昨年1月、20年在籍したスターツ(ピタットハウスで有名な)を、円満退職し、独立しました。
あれから、早いもので、あっという間に一年半が経ちました。
独立した時は、景気も良かったのですが、昨年8月に突如リーマンショックに代表される、いわゆる
サブプライムローンの影響で、私の設計環境も急変しました。 
秋口から工事中の現場が施工会社の倒産により、中断する事態となり、その再開に向け翻弄しました。 
20数年設計業ひとすじに邁進してきましたが、施工会社倒産の経験は初めてで、戸惑いました。 
友人、恩人、先輩、いろんな方達の知恵と勇気と励ましと支援でなんとか再開の目途を建てる事が出来ました。
 ありがとうございました。 
ある関連会社社長が言っていました、「我々は小さなアリです。大きな象に立ち向かうには、
一致団結・協力し合うしかない」。 

「皆さんと、共に、智に、友に、成長していきたい」

これを今期の当設計事務所のスローガンにしていこうと思います。
先月、これも私の初体験でしたが、事務所が火災に遭い、大勢の方からお見舞いを頂きました。
重ねて心より感謝申し上げます。 災難に合って改めて解りました。 
私には大勢の力強い友人、知人、そして応援してくださる大切な取引先がいて、これが財産であると。 
今度は私が皆さんのお役に立てるよう頑張る番です。 
共に、智に、友に、これで厄祓いが出来たと考える事にし、心機一転、新事務所にて再スタートを切る決意です。
火災では、幸いにも貴重なデータだけは運よく助け出す事が出来ましたが、大切な思い出の
品々をすべて失いました。 
全て処分しましたが、一つだけ処分できずに残しているものがあります。
火災に負けるな!と言う強い教訓として、これからも大切に保管していくつもりです。
スターツ村石会長から書いていただいた「夢現」。 
残念ながら、炎で焦げて、ススで汚れてしまいましたが、雨にも負けず、火事にも負けず、
丈夫な身体を持ち、・・・ この悔しい気持
を一生忘れる事なく、この100年に一度の不景気を乗り越え、明るい未来に、明るい社会に、
微力ながら、貢献していきたいと思います。

平成21年6月20日 曽我透

 

会社設立のご挨拶

この度、20年在籍したスターツ(ピタットハウスで有名な)を、円満退職し、念願かなってようやく、
独立し、自分の設計事務所を立ち上げることができました。
昔からの私の夢です。
以前から独立願望が強く、建築設計を志した20歳の頃からの夢でした。
今に至るまで、足掛け20数年が経ってしまいましたが、今年から、心機一転、遅咲きではありますが、
しい人生を歩む事にしました。
40歳を迎えるときに、残された時間とこのままでいいのか?
という自分への禅問答が始まり、結論のでない想いに悩みました。
人生一回しかありませんので残された時間は思いっきりあばれてみたいと思います。
会社という大きな傘の下から出されるわけですから、当然、雨にも打たれるでしょう。
に遭遇するかもしれません。
しかし、ひょっとすると今まで見たこともないような青空が見えるのではないか?
きっとそこには感動があるはず。
そんな夢と期待を抱きながら一生懸命、生きていきたいと思います。
今までスターツで培ってきた、20年の経験と実績、スターツデザインの看板を傷つけない
ように、これからの設計活動に活かしていきたいと思います。
これからは、すべてが自分の責任です。営業し、デザインし、作品を残し、スタッフを育
て・・・・・・建築を通し、お客様に大きな感動と喜びと幸せを与え、社会に貢献したい。
これからは今まで以上に精力的に活動していくつもりです。
出遅れた分を一日も早く取り戻さなければいけません。
かなり好き勝手にデザインをさせていただいていた良い条件の会社を辞めるわけで、
みんな口ぐちに「大丈夫か?」「仕事はあるのか?」「金なら少しなら貸せるぞ」といろいろ
ご心配してくださる有難い友人がいるのですが、私もスターツでは、
かなり鍛えられてきましたので、楽天的性格のせいもあり? 正直そんなに心配はしておりません。
今まで過去10数年間の間、社員は私一人で、
(他は全部、私が個人的に集めてきた外注スタッフでのチーム)
毎年20億円から30億円近い工事料の設計案件をこなしてきました。
これはきっと10人くらいの社員を抱えている設計事務所の規模と同じではないかと思います。
御陰さまで仕事の処理能力は人一倍、同時にたくさんの案件を進められる能力が身につきました。
自分の年収の10倍以上の設計料を稼ぎだしていたわけです
(それを思うとなぜかさみしい想いになるのですが)
私がやっていけないようではきっと誰も成功しないでしょう。(笑)
これからは 設計施工の会社 ではなく違うスタンスで設計活動をしていきます。
本当の意味で、もっともっとお客様にちかい存在で、設計活動をし、お客様の右腕となり、
お客様の利益を守り、競争の原理をフルに活用し、低価格で高品質な建物に近づけていく
設計手法に徹底します。
スターツ村石会長と(H19年12月20日)
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