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第8回 建築視察会8月1日

2020-08-05

第8回建築視察
 
コロナ禍の中 、猛暑の中、はるばる遠出して、広島まで行ってきました。日帰り弾丸ツアーです。
 
ガラガラの新幹線、社内には我々3人しかいません。安心といえば安心です。
 
目的は、広島原爆資料館です
最近、改修して、免震構造になり、展示方法も変わったのです。
毎年8月になると、終戦(敗戦)に関するテレビ番組が増えます。
来週になると、混むとおもったので、混む前に、密になる前に見学しようと思いつきました。
これは丹下さんの初期の建築です。終戦5年後で、まだアメリカの占領下の時代の建築です。
丹下健三さんは戦争で家族を失い、特に広島には特別な感情もあった若いころの仕事なので、デザインにも若さ、勢いが感じられます。
原爆ドームと記念碑と資料館が一直線に並び、気持ちいいくらいの軸線が通っていて、戦争には負けたが、気持ちは戦っているのが伝わってきます。
戦後 モダニズムがここからスタートしたんだという気概が伝わってきます。
 
10年前に行ったときは展示の解説が吉永小百合さんの声で、あまりの悲惨さに涙したものです。
いま、コロナのせいで、ヘッドホーンの使用が出来なく、解説がありません。残念です。
涙が出てきません。あれからオバマさんが来てくれたし、変わっていいはずの世界も何も変わっていません。むしろ危険が増している現実です。
「同じ過ちはくりかえしません」この主語のない記念碑の言葉を信じるしかありません。
最後に世界平和祈念聖堂に祈りをあげて、今回の視察会は終了です。

第7回 建築視察会7月18日

2020-07-18

第7回 建築視察会7月18日(雨時々晴れ)
 
完成現場を視察し、東京都現代美術館を見学し、
その後、上野精養軒でランチをすませ、いざ上野公園へ。

上野の西洋美術館から博物館(法隆寺鳳凰伝)を見学し、
コルビジュや谷口先生のデザインからパワーを頂き、
来週への活力を得ました。

コロナ禍の中、マスク着用、ソーシャルデスタンスをしっかりと保ち、見学しました。

こんなに人気の少ない上野公園は初めてでした。一生忘れられない光景になることを祈ります。

篠崎駅前 ビル完成

2020-06-30

篠崎駅前ビル完成
 
京葉道路からよく見えます。
 
ユリカコーポレーション様の建物になります。
お客様とは3棟目のお付き合いになります。
すべて施工会社は違いましたが、やはり施工会社によって、建物は全く違うのものになります。
お客様とのかかわり方、をはじめ、建物とのかかわり方も、違います。
 
最初の新小岩からのお付き合いになるのですが、最初の会社は今はもうありません。
残念ですが、やはり、「コストが安い会社」には頼めません。
建物は長期にわたって使い続けるものですので、
修繕はじめ、改修など、突発的な事象が発生した際、非常に困ります。2棟目は旭建設様、
今回施工はセイワコーポレーションです。
設計施工の会社ですので、
今回依頼されたのは、デザイン監修のお仕事だけにしました。
元後輩から、頼まれて、仕方なく、請けました。
このダミエ柄のデザインンなどはすべて今までと同じです。前の現場のタイルと同じです。
2棟目は、ご自宅の建物だったので、変更に変更を重ね、苦労した記憶がありますが、ようやってお客様の好みが、わかるようになります。
設計のスタートをした際、最初から満足のいく設計などとてもできません。
そして着工が最初に決まっている。時間との勝負になるわけです。
男女関係で例えるならば、出会ってすぐに結婚するようなものです。
上手くいくとは限りません
そこで、昔の人は考えました。
仲人という役割を作って、
お互いを良く知っている人が間に入って、事を進める。
今回、私は仲人です。

建築視察会  自由学園明日館

2020-06-22

第6回 建築視察会 実施

いいお天気に恵まれ、定例の建築視察会を実施しました。
 
自由学園
偶然にも、というべきか、このコロナ禍のせいで、結婚式もなくなり、こうして、休日に内部を見学できることはラッキーでした。
私個人としては、おそらく10回くらいは来ていると思います
有機的デザインとかプレーリーハウスとか、フランクロイドライトの本を読むと出てくる単語があります。
若いころ必死に感じてみようと通ったものでした。
東京で、このフランクロイドライトの設計による建築を見れることは、有難いことです。
そして、見るたびにエネルギーを頂きます。
自由学園はライトとしては晩年の傑作になります。
残念なことに帝国ホテルとともに、ライトは完成した実物を見ることなく、アメリカに帰ってしまうわけですが、お弟子さんが見事に完成させてくださいました。
遠藤新さんというお弟子さんが最後まで見てくれたわけですが、ライトは遠藤さんのことを「マイサン」と呼んでいました。
つまり「我が子」と呼ぶまで信頼していたのでしょう。
ライトはあまり絵が上手ではなく、どちらかというと下手だったそうで、美しい図面はレーモンドが書いたものだそうです。
偶然、いらっしゃった学芸員の方からお聞きしました。
そりゃ80歳すぎたら、普通はもう無理です。
 
しかしあの有名な落水荘がライト62歳の時の設計とわかり、さらなる自分への目標ができました。
「もう無理だ」なんて言ってられません。
まだまだ現役で、生き続けて良いお仕事をしないといけません。
あと数年もしたら、今日、自由学園の食堂で、ソーシャルデスタンスで全員マスクしながら、コーヒーを頂きくなんて、きっと懐かしい思い出になることだろうと思います。
 

船橋市長の松戸様から感謝状

2020-06-11

本日 船橋市長の松戸様から感謝状頂きました。

わずかですがコロナ禍に対する医療支援のための寄付をさせて頂きました。
 
このような栄誉ある感謝状は初めてです。
 
特に宅地課様にはいつもご迷惑をおかけしているので、
今回は特に気張ってご寄付をさせて頂きました。笑
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