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昔の自分から見えるもの

2018-05-04
 
秋に事務所の引越しがあるので、整理整頓していたら、懐かしい写真が出てきました
写っている先輩方の承諾は得ていないので、勝手に載せることになってしまいましたが、ご勘弁願います
おそらく30年前の写真です
まだ、木村建築設計事務所に在籍中での社員旅行での写真です。
場所はハワイ島です。
当時、先生の別荘があって、2回ほど行かせていただきました
世の中、バブルで、良き時代でした。
旅行から帰省の翌日に、アロハ航空243便事故が起きたのを覚えております。あと一日遅れていたら・・・・
写真をスマホで撮って載せましたので、画像があらくなっていますが、紛れも無く27歳の自分です。若い自分の姿を見て、今を反省するしかありません。あのときの建築青年はどこへ? ハングリー精神はどこへ? 世の中をなめていた頃の自分です。生きることへの不安など微塵も無く、自信に満ち溢れていた頃の元気な若造です。他人の目など気にしていなかったような気がします。
先生からはどう見えていたのか? 写っていたのか? 生きていたら伺ってみたいものであります。https://sogatoru.exblog.jp/15408669/
反省しきりの若造時代ですが、反面教師でもあり、若さって最高の武器であり、可能性のかたまりでした。
毎日、のり弁、しゃけ弁、インスタントのチャルメラでした。チャルメラに一個生卵を入れるのが最高の贅沢でした。衣食住の面では、だいぶ、ひもじい思いはしましたが、大きな夢があったので、心は豊かだったと思います。
二度とあの頃の生活には戻りたくは無いですが、愉快で、懐かしいものです。
木村伝先生とのツーショット、大切な思い出です。
おそらく先生が今の私と同じ頃だったと思います。
せっかく、ハワイに連れて行ってもらったにも関わらずその後、スターツへと転職したのでした。
恩知らずの若造でした。
今、私の長男がちょうど27歳。私とはまったく違う土俵にいます。
幸せってなんなのでしょう?

地鎮祭でした

2018-04-18
ようやくめでたく地鎮祭を迎えることができました
計画についての説明会では、ご近隣様とのお話し合いを始めて、約1年半の月日がたちました
近隣の皆様に認可保育園建設を認めて頂くことはとても難しいものです。
一般的なマンションやビルの中高層申請と違って、区議会議員様はじめ、大勢の方が、参加しながら、毎月、公民館にて、
話し合いを続けてきました。
時には激しい口調にもなった方もしるし、いまだに、町会長様からは、100%、納得したわけではない・・・・、とおっしゃっておられます
しかし、どこかで折り合いをつけないといけないのは、関係者全員が、わかっていることです。
都では、待機児童問題は、早く解決しないといけない重要課題です。
働く女性のためにも、必要な施設です。
お子様が増えると危険だし、うるさいし、自転車で送り迎えのお母さんも増えるし、そのせいで路上駐輪や駐車も増える危険もあります。
消防署にも行き、具体的な避難活動についての活動方法も伺ってきました
計画地が消防署から3分で到着できる距離であるとことも幸いでした。
伺ったところ、過去30年間、都内では、火災での保育園、幼稚園での幼児の死亡者は0だそうです。
確かに、消火設備がマンションと比較すると、非常に多いですので安全といえます。
ようやく施工会社が決定したので、これから、近隣の皆様に対し改めてご説明会を開催し、着工する運びとなりました。

最新作のご報告 川崎大師分譲マンション完成

2018-04-19
 
分譲マンションだったのですが、建物が完成する前に完売してしまいました。
日本の経済が良い証拠です。
きっとこの¥2400万くらいの案件(サイズ)が一番、投資に向いている金額なのでしょうか?
我々は一生懸命に設計監理するだけです。
それでも、最後、残工事の処理で、今、あたふたしております。
トップ画面の概要の欄に当社の名前が記載されてしまいました。
まさかとは思いますが、直接、クレームが来ない事を祈ります。笑
しっかり監理させていただきました。手抜きは一切ありません。
 
 

シーエスランバー様が上場

2018-04-13

10年来の取引先である、シーエスランバーが上場いたしました

中井千代助社長とは、長い付き合いである

あの思い出したくない過去の事件、もうかれこれ7年前になろうか?

311の大震災で、注文戸建ての会社である取引先業者が倒産し、エンドユーザーの一般客が大変困った時期がありました

もちろん、私の設計料もいただけませんでした。その棟数、約20件分になりました

施工を請け負っている中井社長も、大変困った出来事でした。

私は、その約20件近い確認申請の手数料を放棄し、中井社長に「エンドユ―ザーが気の毒だから」といって、黙ってお渡ししてきました。

もしあの時、いくらかでも、金銭をもらって、引き換えに確認申請書を渡していたら、今の、このお付き合いはきっとありません。

その年、数千万の銀行からの借り入れを起こし、3年で無事お返しすることができました。

上場記念パーテーで、シーエスランバーも、同じく、昔、大変な借金をしたが、時間をかけて、返済した結果が今に至っているというお話がありました。つらくてもいつかきっと楽しい人生がある。苦労してここまでにした会社だからこそ、後輩に引き継いでいってもらいたい会社にしたい。

その願いがついに、かなった記念パーテーでした。

そして、私にとって、古巣のスターツのメンバーも同席しており、懐かしい人とも会えたし、楽しい会でした。

この二人もともに、出世していたのが、またうれしいものです。

 

 

ご挨拶

2018-04-13

平成30年(独立開業10周年)を迎えて

 

このたび、ホームページを新しくさせていただきました。

先月、いきなり当社のHPがダウンしてしまいました。

ちょうど、海外の大使館の設計のお仕事に関わった頃と重なったので、

これが世間でよく言われる敵対する勢力からのサイバー攻撃っていうのもなのか?

疑心暗鬼になったものでした。

ようやく、リコーさんのおかげで、この度、HPを再生、復活することができました。

        

独立開業して、ちょうど、まる10年がたちました

本当にあっという間の出来事でした。

リーマンショクによる施工会社倒産事件・当事務所火災・東日本大震災による関連企業倒産・悲しい事件もある一方で

弟子第1号の卒業、スタッフ全員一級建築士合格、コルビジェツアー実施、いろんな大きなPJのご依頼、とくに西新宿ラビ、木更津ワシントンホテル等、十数億のお仕事は、やりがいのある大仕事でした。

今回のHPは、10年前のスターツ時代を小さくひとまとめにし、独立開業後にスポットを当てた形式にしました。

新生曽我建築設計事務所のつもりです。

私たちの建築とは、そのつど完成する建物を単体の作品としてはとらえずに、継続していく魂こそが当社の建築そのもの、それが理念と考えています。いつも完成する度に反省と次への課題が見えてきます。

常に次回作が最高傑作であるという姿勢で挑みます。

                 

そして、10周年になる記念事業として(株)曽我建築設計事務所の本社建設を考えました。

この場所に事務所を構えて、7年がたちました。今の場所が目立つと言うせいもあってか、

多くのお客様からも場所、存在を認知されるようになって来たし、この場から遠くへ離れるのも寂しいと思いました。

そんな時、偶然にも、お客様でもあるレオコーポレーション様からのご紹介で、

運よく、隣地のナビパーク(コインパーキング)の用地を入手することができました。

これも天の配剤なのか?何かのご縁というものでしょう。まさか、真隣りの土地を入手することができるなんて!

ラッキーでした。

と言うことで、今、本社建設工事の真っ最中です。

秋には引越しする予定であります。

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